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環境先進都市・江戸環境先進都市・江戸

江戸時代は、明治維新が起こるまでの約260年間つづきました。江戸時代の日本は、自然 エネルギーを巧みに利用しつつ、見事な循環型社会を確立した環境先進社会でした。

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江戸の暮らしに根付いたリサイクルを示す浮世絵

太陽エネルギーをフル活用太陽エネルギーをフル活用

江戸時代の日本は海外とほとんど貿易をしませんでした。従って、食料も、生活用品もエネルギーも、ほとんどが国内生産でした。その中で、重要な役割を果たしたのが植物です。人々は、太陽の恵みによって成長する「わら」や「竹」などの植物を原料に、大変な時間と労力をかけて、衣類をはじめとしたさまざまな生活道具を作りました。当然生産量は少なく、紙一枚、ろうそく一本が非常に貴重でした。人々は、物を徹底的に大切にし、壊れても修理して使いました。

「ゴミ」にしない社会「ゴミ」にしない社会

どんなに大切にしても、いつかは物も使えなくなってしまいます。そうなった時は燃料にして燃やしましたが、燃やされた後に出来る「灰」もまた、有効利用されました。灰は肥料になるばかりか、染め物や酒造りなどに欠かせない材料でした。また、物を買い取ってくれる行商もいました。灰を買い取る「灰買い」や「紙くずひろい」、ろうそく立てにこびりついた「ろう」を買い取る人もいました。現代ではゴミ扱いの物でも、当時は、貴重な資源だったのです。

「何でも修理してくれる」「何でも修理してくれる」

江戸時代は壊れた物を修理してくれる職人がたくさんいました。障子の張り替え、たがのゆるんだ桶の修理、傘や下駄などの日用品の修理、壊れたカギを直す人、鍋や釜、農具といった鉄・銅製品の修理、割れた茶碗まで修理してくれる人がいました。

食べ物の循環食べ物の循環

江戸時代、世界の都市が抱える問題の1つは、排泄物の処理でした。花の都パリには、下水道がありましたが、そこに流れた排泄物は、セーヌ川に垂れ流されました。そのためパリは悪臭がひどく、大変汚れていました。一方、同時期の江戸は、人口100万の大都市でしたが、排泄物問題はほとんど起きませんでした。日本では、排泄物は農民が買い取り、肥料として活用しました。

「着物」「着物」

体の大きさに合わせて布を切る洋服と違い、着物は「反物」という長方形の布を縫い合わせて作ります。着物は糸をほどくと元の反物に戻るので、何度も作り直すことが出来ました。着物は親から子へと受け継がれましたが、使い込んで布が柔らかくなるとねまきに利用しました。更に使い込んで布が柔らかくなると、赤ちゃんのおむつになりました。赤ちゃんの肌には、使い込まれて柔らかくなった木綿の布が適していたのです。更にぼろぼろになると、ぞうきんになりました。ぞうきんとしても使えなくなると、燃料としました。燃やして出来た「灰」はもちろん再利用されました。

「傘」「傘」

江戸時代の傘は、竹で作った骨組みに油紙を貼って出来ていました。使ってるうちに穴が開いたりすると、傘の行商がやってきて修理してもらいました。また、ぼろぼろになった傘を買い取ってくれる行商もいました。本当に使い物にならなくなった傘は、竹の部分は燃料に、油紙は当時の肉屋に売り、肉を包む紙として再利用しました。

「紙」「紙」

日本の伝統的な紙は、コウゾの木の皮を原料としました。毎年育つ一年生の枝だけを切り取り、その皮を精製して紙に漉いたので、木を切り倒して原料にする現代の紙のように、森が無くなる心配はありませんでした。また、ヨーロッパで作られた洋紙は、化学物質が含まれるため、劣化が激しく、長期保存には不向きでした。一方、当時の日本の紙は化学薬品を一切使わず、純粋な植物繊維だけで出来ていたため、数百年たってもほとんど変質をしない、非常にすぐれた素材でした。

※会場では、江戸の町のCGがご覧になれます。